情報リテラシーを問われるTwitter
Twitterに親しむ今日この頃です。朝おきれば「おはにゃん☆」とつぶやき、外出すればfouesquareでランドマークにチェックイン、iPhoneで写真をとって「XXなう」とかつぶやいちゃう体たらく。TLが特定の話題で賑わってっていれば、Togetterでまとめを読んで「ほほうこんなことがあったのか」「こんな意見があるのか」と驚いてみたりね。テレビ番組や映画、演劇を見たり、本を読んでもファーストインプレッションは140字でさくっとつぶやく。勿論まとまった感想はブログにアップするけど、それも「ブログ更新したよ」ってつぶやいちゃうね。まあこれはブログの機能ですが。
さてさてそんなTwitter。楽しく使っているけれど、「ちょっとどうかしら」な部分もあるのも事実。これはあくまで私見だけれど、Twitterは使用者の情報リテラシーを厳しく問われるメディアだと思ってる。例えば以下の風潮が私にはひっかかるのだ。
1.【拡散希望】のツイートの無条件拡散。勿論お子さんや高齢のご家族の探索、緊急の輸血や迷子ペットなど、やむにやまれぬ事情で拡散希望されている方が殆どのため一概に否定するものではない。けれど、情報の発信元、正確性を確認せずにRTしてしまうことはないのか。もし、その情報が不正確だったり悪意に基づくものであった場合は、デマを拡散することになってしまう。私自身の経験だがRTされたツイートはいつまでもTwitterの中を巡っており、時間が経過しても「いま発信されたかのように」RTされ続ける。削除や修正のきかないメディアなのだ。RTする場合は、それが半永久的に流れることの影響をよくよく考えてから行う必要があると思う。
2.海外のメディアではトップで報じているのに、日本のメディアでは扱いが低いもしくは報道されない - バイアスがかかっている。意図的にそのようにしているに違いない - という論調。海外と日本の報道の差異を考察するならまだしも、BBCではブレイキングニュースとして流しているのに、NHKでは扱いが小さい、報道されない。NHKは信頼性に欠ける放送局だという論調はいかがなものか。中東の情勢を報道するにしても、BBCとNHKではその姿勢がまったく違う。英国にとって中東は近隣の地域であり、かつ英国は現在の中東のパワーバランスに大いに責任があるからだ。
今日、私たちは多くの情報をさまざまなメディアから得ることができる。インターネットはもとより、テレビでさまざまな国のプライムニュースを視聴することが可能だ。グローバルな環境に置かれたアジアの小国に生きる私たちにとって、グローバルで多角的な情報を得ることができるのは、とても幸運なことだと思う。これは数十年前では考えられなかったことだ。
しかし忘れてはいけない。あらゆる情報は加工されて私たちの手元に届くということを。それはあのエジプトの、リビアの携帯電話で撮られた動画ですらそうだ。きわめて事実に近いかもしれないが、「事象の一端を、ある面からとらえた情報」なのだ。どの情報も事実は伝えない。伝えているのは視点だ。そして、いままで隠蔽され、情報が一方の管理下に置かれた国から発信されたそれに相対する視点から、私たちは「中東でいま何がおこっているのか」をより角度高く類推することが可能となったのだ。
勿論、マスゴミと嘲るのも自由だし、中東の情勢はシビアなのに日本はパンダ来日をトップニュースにして危機感がないねえと嘆くのも自由だ。でもいずれにせよ、どんなメディアもある視点を伝えているに過ぎないということを心にとめておく必要があると思う。
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私は情報リテラシーとは、情報の性質を知り、それをできるだけ公平に扱い、咀嚼し、判断する力、自分の視点を加えて発信する力だと思っている。発信もとの不確かな情報は眉にツバをつけて読む必要があるだろうし、自分の憶測や噂をさも本当のように発信するなんて言語道断だ(イエロージャーナリズムを否定はしないんだけどね)。
と、えらそうに語っているが、私自身は情報産業に身をおいている割には間違いをたくさんしており、ご指摘をいただくことがよくある(ありがとうございます!)。ブログはできるだけ迅速に訂正しているが、Twitterはその訂正が追いつかないメディアだ。楽しんではいるけれど、粗忽な私は情報を扱っているということを心にとめてお付き合いしなければいけないと思っているよ。
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