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英国逍遥2015 - 「バッカイ」観劇

ロンドンに着いて、その夜は観劇という強行軍。体調と相談して無理ならやめようと思っていたけど、早めに着いたしのんびり18時ころ出かける。最寄りの駅はセントラル線のQueensway。駅でオイスターカードにチャージして、イズリントン駅まで30分くらい。駅から10分ほど歩くとアルメイダ・シアター。

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受付で予約メールを見せてチケットに替えてもらう。20時の開演までまだ1時間くらいあったので周囲を散策。劇場前の猫さん。

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イズリントン地区はおしゃれなレストランやバーが立ち並ぶ地区。六本木とかのイメージかなあ。金曜夜だったせいか街は人が多く華やかな印象。こんな中にあるちょっとおしゃれな小劇場。20時開演だからお仕事終わってから出かけても十分に間に合う。仕事終わって、劇場のバーで軽く飲んでからお芝居をみて、終演後は周囲のレストランでちょっとおそめのディナーなんて素晴らしい。ロンドンは演劇の都ですな。

さて開演して劇場内へ。アルメイダ・シアターは客席325席の小劇場。今回はほぼ正方形のステージを三方から囲む形の座席配置。ステージと座席は本当に近くて独特で親密な劇場空間を作り出してる。私は前から2列目に座ったのだけど、前方席はなぜかカップルシート。隣の同年輩の女性に「私たち二人とも痩せててよかったわ~」と言われて「いや~私はちょいデブだけどあなた細いから~(本当にスリムで羨ましかった)」などと言い合っていた。これちょっと恰幅のいい人同志だとかなりきついと思うよ。

観客は去年のリチャード三世(バービカンも)と同様に老若男女まんべんなく。カップルも多い。私くらいの年輩のお客さんも多いので違和感なく客席に溶け込めるのが嬉しいにゃあ。満席。

バッカイ(Bakkhai)はギリシャ悲劇。日本では「バッカスの信女たち」として知られる。

- ゼウスの子ディオニュソス(バッカス)に従う信女たち(バッカイ)。信者を増やすディオニュソスを疑い捉えようとするテーバイの王ペンテウス。ディオニュソスは信女となったペンテウスの母アガウエーを操りペンティウスを殺させ神の怒りを示すのであった -

というエウリピデスが紀元前400年頃に書いた神の怒りによる子殺しの悲劇。神の怒りと愚かな人間との乖離を描いた古代劇でありながら新興宗教と信者の熱狂は現代と通じる。事前に脚本を読んで面白いなあと思っていた。

冒頭あらわれて「我はディオニュソス、ゼウスの子なり」と話し出すディオニュソス。 シンプルなTシャツにジーンズ(神が人間の姿を模しているという記号的な) ウィショー君は細いけどよく筋肉の乗っているしなやかな姿。シャツをめくってちらりと見えたおなかにも筋肉がついていて役者さんてすげーと思ったよ。

バッカイを演じる女優さんたちは人種も年齢もまちまち。冒頭はショッピングバックレディの様にカートを引いたり旅行鞄を持つ現代のいで立ち。彼女たちはコロス(ギリシャ劇における合唱隊。物語の筋を詠唱で補う。歌舞伎の義太夫に似てるよね)も兼ねている。詠唱は時にはグレゴリオ聖歌、時にはケチャやホーミー、アフリカ民族音楽風となり心地よく(内容は恐ろしい)劇場に響き渡る。

バッカイ(コロス)。素晴らしい詠唱。

ディオニュソスやバッカイは登場時こそ現代衣裳だが、すぐに古代ギリシャ風の衣装に舞台上で着替える(時にバッカイは持っていたカートや鞄から衣裳を取り出して着始める)。ディオニュソスは山羊革(フォーンスキン)のワンピース風衣に杖。「神にはありがちな恰好なんだけど~」と着替える姿が可愛らしい。

現代→ギリシャ風装束と着替えるディオニュソスやバッカイと異なり、一貫して背広なのはディオニュソスを敵視するテーバイの王ペンテウス。演じるのはバーティ・カーヴェルさん。チケットとった後で気がついたけど、シャーロックS1E2に登場した銀行マンセバスチャンの人。オリヴィエ賞も受賞している手練れの舞台役者さんでいや素晴らしかった。弁舌も敏腕ビジネスマンのよう。

最初は自信満々に登場したペンテウスは、ディオニュソスにまみえ次第に彼に浸食されていく。このあたりのウィショー君の演技は素晴らしい。時にはにこやかに優しく、時には傲慢に朗々と、厭らしく魅力的にペンテウスを翻弄するのだ。そして時折見せる神としての無機質で無慈悲な顔の恐ろしいこと。

あ、ディオニュソスはロングヘアーなんだけど、いつも髪の毛をひと房、指でもてあそんでいた。あの仕草可愛らしくも色っぽかったけどなにか意味があるのかな?

信女たちのいやらしい饗宴を覗いてみたくはないかとペンテウスを誘うディオニュソス。彼を女装(シャネル風スーツ)させ、口紅を塗って送り出す。ここでいまや信女となったペンテウスの母アガウエーが登場する。ここで吃驚したのはこのアガウエーもまたペンテウス同様バーティさんが演じていたことだ。ひとりの役者が母と息子。殺すものと殺されるものを演じるのだ。これは非常に暗喩的である。

ペンテウスを翻弄するディオニュソスの笑み。怖い

ラスト、血まみれのトーガをひきずり、父カドモスに向かって引き裂いたわが子の首を見せる狂乱の女アガウエーはおかしくて哀れで恐ろしい。嘆くカドモスと正気にかえったアガウエー。灰にまみれた舞台でブルーシートにのせたペンテウスの死体を引きずるバッカイ。

彼らを高みから無慈悲に見下ろすディオニュソスはすでに人の姿ではなく。牛頭となっている(ディオニュソスの本来の姿は雄牛の角を持つ神) 人知の届かぬ獣の姿 - 即ちそれが神の怒りなのであった。

終わってみれば現代の風刺もそれほど強くなく、神の無慈悲さ、人の矮小さが印象に残る舞台であった。即ち本来のギリシャ悲劇のエッセンスを心地よく体験した感じ。

2時間足らずの非常にミニマルなプロダクション。セットも小道具も最小限で、力のある役者さんたちの身一つのプリミティブなパフォーマンスを観てとても満足しましたよ!ウィショー君の人知を超えた神も良かったけど、彼に翻弄されるペンテウスのバーディさんの演技は本当に説得力があった。素晴らしい役者さんたちの生の舞台を堪能しました!


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