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ドラマ「JIN -仁-」第二部最終回 感想

うわわん、感想をずいぶんサボっているうちに、ついに仁が終わってしまったにゃあ。毎回息をもつかせぬ展開で、観終わるとどどどっと疲れちゃって、私の足りない脳みそ処理能力では感想どころじゃあなかったんだ…っていうのはちょびっと言い訳。実は第一部はその終わり方をのぞけば大好きなんだけど(「あれ?」はないよなあ)、第二部は、出来の粗さが目だってそれほど思い入れることができなかったのも感想を書きそびれた理由のひとつ。もちろんドラマ製作スタッフはとっても頑張ってて、この世界を愛しているのが伝わってくるのだけど、ドラマとしてのバランスが悪く感じられた。

その原因は大きく2つ。ひとつは物語。後で書くけど、ドラマは原作のエピソードを使ってまったく違った物語になっている。原作とドラマでは仁先生と龍馬、咲ちゃん野風さん(+未来さん)の立ち位置がまったく違うのだ。その物語はとても魅力的なんだけど、いかんせん尺が足りなさ過ぎた。それでも第一部は原作5巻ほどのエピソードでそれを語ったため(そして収束させる必要がなかったため)ラストを除いては粗がめだたなかった。しかし第二部は激動の幕末でエピソードはてんこ盛り。詰め込みすぎて逆に散漫で雑な印象を受けてしまったのだ。手術シーンはますますリアルになったし、蛤御門の変や上野戦争など大河ドラマを髣髴とさせる戦闘シーンなど、丁寧につくられた見ごたえあるシーンはたくさんあっただけになんとも残念だ。

そしてもうひとつは仁先生の性格設定だ。原作の仁先生は、比較的早くに江戸で生きる覚悟を決めて、後はあまり悩まずに周囲の人々や偉人を助けることに邁進している。しかしドラマの仁先生はいつまでもぐずぐずと悩み続けている。江戸に6年もいるのにね。悩む姿はとても人間らしくて、歴史音痴のところも含めてずいぶんと親しみやすいけど。

しかしこれでは物語が転がらない。特に第二部では、幕末の多彩なイベントに仁先生をうまく関与させるところが物語の醍醐味であるのに、決断のできない仁先生は潔くそのイベントに参加することができない。躊躇する仁先生のお尻を叩くのは咲ちゃんだ。第二部の咲ちゃんはまるで仁先生のメンターのようで、第一部の可憐さ初々しさが薄れてしまった。仁先生がプロポーズしたりもしたけれど、二人の恋が進展しているようには感じられなかった。

もちろん良かったところもたくさんあった、役者さんはみなハマリ役。綺羅星のような実力派の俳優さんたちを惜しげもなく投入して、しかもみんな大熱演。久坂さん西郷さんはとーっても魅力的だったし、うっちー龍馬はこれからの龍馬像のマスターピースとなったと思う。野風さんの出産話→その後の流れも、よく原作をここまでアレンジしたなあと感心した。タイムパラドックスの処理は原作よりもうまかったんじゃあないかな。少なくとも原作の仁先生分裂→咲ちゃん&野風さん子孫の両手に花エンドよりも私は好きだな。もちろん原作あってのドラマ版ということもよくわかってます~。原作の仁先生や咲ちゃんが大好きだから幸せになってくれて本当に嬉しかったよ。

ところでSFファンとしての閑話休題。

タイムスリップやタイムトラベルを扱ったフィクションって、SFって思われがちだけど、実はそうじゃない。太古の昔から時間を行き来するってテーマはあったと思うんだ。例えば浦島太郎だって、この世とは異なる時間の流れに身を置く話でしょう?

でも時間旅行に伴う様々なアイデアが整理されたのはSFによるところが大きいのかな。近代SFの父H・G・ウェルズがその名も「タイム・マシン」を書いたのは19世紀。同時代にマーク・トウェインが「アーサー王宮廷のヤンキー」を書いてるね。どちらも(当時の)現代人が未来や過去の世界に時間旅行する話だよ。それから一挙に花開く時間もの。物語や映像でたくさんの名作や古典が生まれたね。

時間旅行の手段もいろいろだ。タイムマシンを使ったり、コールドスリープに光速移動にブラックホール、ラベンダーの香り(さっすが筒井先生!)。精神だけがトリップするものや、手紙やメールで過去や未来と意思疎通ってのもあるよね。

そして時間旅行につきもののタイム・パラドックスに過去改変(と歴史の修正力)、パラレル・ワールドにバタフライ・エフェクト。およそあらゆるアイデア、あらゆるパラドックスが出尽くしているため、いまオリジナリティのある時間ものを書くのはとても難しく、SF畑からはなかなか新作がでない。その代わり、ごくごく普通の娯楽作品として、古典的なガジェットを組み合わせて、新しい作品が生み出されているよ。

私が大好きな作品は故クリストファー・リーブの主演映画「ある日どこかで」。切な系時間旅行ものの傑作だ。何回見ても最後は号泣してしまう。機会があったら是非観てね!最近だったら「時をかける少女(アニメ版)」だねっ!天才筒井先生の時間旅行の古典名作を瑞々しい感性で映像化した心温まる佳作だよ。わくわく冒険ものならやっぱ「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」。すでに古典だけど、使い古されたテンプレでも組み合わせ次第ですごい傑作ができることを証明してくれた。閑話休題終わり。

ええっと何がいいたいかというと、そういう意味では「JIN」もテンプレ時間旅行もの。原作者村上もとか先生のすばらしいストーリーテリングで、古典的なガジェットを読み応えのある幕末現代医師奮闘記に仕立ててくれた。

で、ドラマはそれをどんなお話に組み替えちゃったかというと -

第一部は江戸にやってきた仁先生が工夫しながら人々を治療して、様々な幕末の偉人と出逢い、友情を深めていくお話。そして第二部は、いよいよ明治維新がやってくる。激動の歴史に翻弄されながら、無二の親友となった龍馬を救おうと奔走する仁先生 - でも歴史の修正力が働いて、その願いはかなわない。それどころか、歴史の修正力は仁先生を江戸から排除しようとする。愛する咲さんの命も危うい。どーするどーなる。

なあんてね。それは失意の医師の魂の救済の物語。愛する恋人未来を自らの手術の失敗で目覚めぬ植物状態にしてしまった仁先生。ただただ眠る未来と対話し、日々の希望を失っている。そんな仁先生が、江戸にタイムスリップ、ここで医療の進歩に身を尽くすことで、未来を病から救うことができるかもしれない。僅かな希望をつなげ、やがて愛する人咲と仁友堂の仲間と無二の親友龍馬を得る。

無二の親友を助けることはできなかったけれど、もう二度と愛する咲にあうことはできないけれど、その想いはいつも胸にあり、そして - 滅びない。戻れぬ悲しみを胸に秘め、仁先生はひとりの人間として、前向きに歩むのだ。再び未来と出逢い、そしてまたその病と闘う強い心をもって。

江戸の時代から、仁先生の痕跡が消えたように、心の海で龍馬が語ったように、仁先生の心からやがて江戸の記憶は薄れ消えてしまうのだろう。でもそれは別にタイムスリップしなくたって同じだ。私たちは何もないところから生まれ、一時ともにすごし、そしてまた消えていく。でもともにすごしたその日々は時のどこかにあって、いつまでも褪せない輝きを持っている。その輝きを伝えながら人は歴史を紡いでいるのだ。

ドラマ「JIN」は、そんな魂の救済と人々の歴史の物語。いろいろバランス悪いところもあったけど、そんな大きな物語を語ろうとする作り手の意志はしっかりと伝わったよ。素敵なお話をありがとうございました。

おまけ。時間ものテンプレいろいろ。どれも大昔からあるテンプレなので、仁は蒲生邸やBTTFのパクリなんて思わないでね~。これらはパブリックドメインアイデアなのだ(いいすぎ)。

-崖から落ちて過去にタイムスリップ
-自分自身を手術する医師
-頭(体)の中の胎児状腫瘍(もしくはバニシング・ツイン) しかも生きてるししゃべるし(ピノコ~)
-同じ時間軸に過去と現在の自分が二重存在して、片方がはじかれる
-現代の技術を過去の環境で工夫して発明してしまう
-タイムスリップ先の過去の歴史に介入した結果、それがどんなにわずかなことでも未来が変わる
-逆に歴史修正力がはたらいてなかったことになってる
-写真がかわってる(わはは)
-偉人とお友達になる。暗殺や事故から救う。もしくは救えなくてがっかり
-死ぬ運命にある人を救っても、別の方法で死んでしまう
-タイムスリップから戻ると、過去(未来)から自分がいた痕跡が消えている。
-時間の修正力が働いて、時間が正しく流れるまでは何回もタイムスリップする。
-時間が正しく流れ始めるとタイムスリップの原因そのものが消える
-自分自身の記憶もなくなる。忘れてしまう
-過去(未来)からお手紙が届く。それを読んで泣く(しくしく)
-心の中の渚で大好きだった人と語り合う。「もう会えないけどいつでも一緒だから」といわれる。(龍馬さんがララァや綾波みたいだったよう)
-時間を巻き戻して、救えなかった人を救う。もう一度出会う

おまけその2

SFとしてもエンターテインメントとしても優れている時間SFと私が思うのは、萩尾望都先生の「銀の三角」だ。もう三十年前の作品だけど、1つの星の種族の行末が宇宙の運命を左右する-それを修正するために宇宙の意志が働いて-という話。萩尾先生の"ループもの"SFの集大成的傑作だ。

感想まとめました。

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コメント

感想待ってましたよー。役者さんを含め作り手の意気込みが感じられるドラマでした・・・が、第2部では主人公に感情移入できなかったです。 なんだか咲ちゃんの方が主人公みたいでした。パワフルな江戸時代人に軟弱な現代人が完敗する物語だったのかな?

投稿: Kazz | 2011.06.29 19:38

こんにちは、いつもお邪魔させてtだいてます。
「JINー仁-」最終回は良かったですね~。切なくて、でも前向きで…。
私もこのドラマを見て「ある日どこかで」を思い出したので、nyaさんが書いてらっしゃるのを見て嬉しかったです。(それまではタイトルを忘れていたので分かってすっきりしました。)
10円玉のシーンで思い出して、横にいる夫に熱く語ったら「それは、SFじゃないだろう。」と言われてしまいました~。確かに、そうかも。でもあんなに引き込まれるロマンティックSFは他に思い出せません。

投稿: akya | 2011.06.30 18:06

Kazzさん、コメントありがとー!

そうそう2部は仁先生がヨワヨワすぎましたよねえ。まあ1部からみんなに守られるヒロインポジションだったのでしょうがないかなあと思いますが、もうちょっと要所要所ではキゼンとして欲しかったですな。

akyaさん、コメントありがとうございます!

最終回良かったですねえ。咲ちゃんの手紙のところではうるうるしてしまいました!そして「ある日どこかで」!お好きなんですね~私もf大好きです。あれ立派なSFですよ~。原作もばりばりのSF作家のリチャード・マシスンです。SFにはむかしから「ゲイルズパークの春を愛す」や「たんぽぽ娘」などの時間恋愛ものという分野があります~。日本だと「思い出エマノン」や「時をかける少女」かな。

投稿: nya | 2011.07.02 08:33

萩尾望都先生の「銀の三角」、私も大好きです。
雑誌に連載されて当事、次号の発売をワクワクしながら待ちました。
懐かしくなって単行本引っ張り出してきて読み返しましたが
まったく今読んでも古くない、名作ですね。

「ゲイルズバーグの春を愛す」も好きです。
同じ作家の「ジェニーの肖像」も映画も原作も良いですよ。
文庫の表紙を書かれた内田善美先生の作品も好きで
「星の時計のLiddell 」は、今でも時々読み返してます。
内田善美先生は、今は、まったくの消息不明だそうですが本当に残念です。
もっといろんな作品を描いて欲しかったなぁ~

投稿: 雛のご主人 | 2011.07.05 15:24

雛のご主人さん、コメントありがとうございます!

「銀の三角」はSFマガジンでしたね~、私も毎月楽しみに読んでました~スケールが大きくて、でも心情がこまやかでいまでも大好きです!

そして内田善美先生!私も大好きなんです~。なにしろりぼん&ぶーけ世代です。「星の時計のLiddell 」は、時間ものですよね~。2つの時間が流れているあの空間!古いお屋敷や草花、金木犀の香りが画面から匂い立つようでした。ねこちゃんの「草迷宮」も素敵だったなあ市松人形。私のマイフェイバリッドは「空の色に似ている」です。あの学園生活に憧れました。活動期間が短くとも濃密で素晴らしい作品を残してくれた内田先生にはいまも感謝しています。


投稿: nya | 2011.07.10 10:32

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