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震災その後

何度も書いていることだけど-

東京は下町の生まれだ。もう半世紀も前のことだ。ずっとずっといつか関東を襲うであろう直下型大地震の恐怖を叩き込まれて育った。祖父母から、もしくは学校経由で地域の被災経験者達から、1923年に起こった関東大震災の話を繰り返し聞かされた育ったのだ。

地震は怖い。それまでに築いていた生活を、安寧に送っていた日常を、なにもかもを奪っていく。抗うことはできない。大地の身震いに無力な人間はただただ翻弄されるしかないのだと。

子供の頃、悪夢にまでうなされた下町被災の姿を目の当たりにしたのは阪神・淡路大震災の時だ。炎に包まれる長田地区 - 私は既に社会人になっていたけれど、本当に言葉も無かった。そして、地震に対する備えも大切だが、真に大切なのは地震に被災した際の対応とも知った。迅速な避難、救助、治療、身元確認、支援物資の補給という震災直後の救援活動にはじまり、被災された方々をどのようにリカバーしていくか。ライフラインを迅速に復旧し、仮設住宅を建て、被災された方々のケアをする。平行して被災地域のインフラを復興していくのだ。阪神・淡路大震災で大きな課題がいくつかあがり、その後のいくつかの震災でその課題は更新され、解決法が提示され、首都圏に在住し、勤務する私たちもいつか来るであろう直下型の大地震への備えを強くしていった。

そしてそのときは来た。

いくつかは予測されていたことであり、いくつかは予測不可であった。三陸地方を襲う大津波の中継を見たときは総毛だった。下町育ちの私たちが震災(特に火事)に対する備えを叩き込まれて育ったように、三陸地方は大津波に対する備えは万全であったはずだ。しかし、それをも凌駕する人類史に刻まれるほどの大津波は多くの町を飲み込みたくさんの犠牲者をだした。その備えを不足であったとは誰もいわないだろう。

そして福島第一原子力発電所 - 震源地に程近い原発はマグニチュード9.0の激震には耐えたが、襲ってきた津波を防ぎきることはできなかった。予備電源を失い、冷却する術の無くなったサーマルリアクターがどれほど制御できなくなるものか。私たちは震災から1週間を過ぎてなお完全解決の術を見出せない。ただただ世界が、その原発と東電・自衛隊・機動隊との戦いを見守っている。

自然の完全な制御は不可能だ。しかしそれでも人類はその災厄に抗い続ける。なぜならそれが人類だからだ。

てなわけで(ここでトーンかえるか!)、震災から一週間。会社では東北地方と千葉の事業所で一部被害があたtけど社員家族の全員無事は確認された。でも関東地方の事業所は計画停電下でもあり、基本はe-work。自宅や客先から連絡をとりあい、メールやテレコンで業務をすすめているけれど隔靴掻痒でなかなか大変。やっぱりe-workをデフォにするのは難しいと実感してます。

自宅は計画停電地域なのだけど、いままで一度も停電になっていないのが不思議。TEPCOさんのフリーダイヤルもいつもつながらなくて、ちょっとフラストだけど、いまの大変なTEPCOさんにクレームあげるのもなんだしなあ。いつでも停電に備えておくほうが大切だし、それでおこらなかったらラッキーなのだ。

スーパーの棚は空。買占めもあるだろうけど、物流の停滞もあるだろうしね。節ガソリンのため夫がはりきって自転車で買い物にいってます。節電もきちんとしてるよ。居間で毛布にくるまって、ペットボトルにお湯入れた簡易湯たんぽでeWorkしてます。

これからどれくらい非日常がつづくのかわからない。いま市場は大混乱だけど、この状態が長く続けば間違いなく日本経済はシュリンクするだろうし、私の仕事にも大いに影響があるだろう。

しかし、いまの自分にできることを淡々とやるしかないしね。被災地には募金。日常は節電。お仕事はeWork。ねこまるがいつもどおりなのが心の癒しデス。てかねこまるがそこにいるとeWorkになんねえ!

追記:Twitterにはいろいろ思うところ有。デマが増えてきてすごいし、安易に救援のRTをするのもどうかと思う(せめてソースにあたってからね)。本当にTwitterは情報リテラシーを問われるメディアだなと思った次第。

「東北関東大震災に関するデマまとめ」のまとめ

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コメント

Nya様、こんにちわ。先日『のだめカンタービレ』のオペラ編感想に乱文を書き殴り逃亡した むぎです。ご無事で何よりでした。

私は実家の近くのホームセンターに買い物に出かけていた際に揺れ始めました。ゆっくり大きな横揺れだった事から「震源は遠そうだ。すわ、首都直下か?」と、背筋がゾッとし慌てて車のラジオを点けました。その時発表されたのはマグニチュード7代で震源は陸地から遠く離れた福島県沖とのこと。正直に申し上げると、これを聞いて「沖合ならそんなには被害は大きくないだろう」と思ってしまいました。浅はかでした。

私は新潟県の某地に住んでおり、2004年の新潟県中越地震、2007年の新潟県中越沖地震で大きな揺れを体験し、更には諸事情により2007年の能登半島地震でも直撃を食らうという、トホホな地震体験をここ数年で送ってまいりました。それでも家は潰れず(歪んだりヒビが入ったりしていますが)、家族親戚に友人知人もみな生命をとりとめた事は、不幸中の幸いと喜びました。

地震の揺れそのものに対する恐ろしさについては、こうして自身が身を持って体験していた事でしたが、今回の大津波には、ただただ呆然とテレビ越しの映像を見るしかありませんでした。東北地方に住む友人の顔が浮かんでは消え浮かんでは消え、連絡がとれるまでは生きた心地がしませんでした。

今の私たちに出来ることは、Nya様の仰る通り、節電に募金、そして仕事を続け、情報の波に溺れぬよう気を配り、日常生活を可能な限り維持する事ですよね。今回原発で大きな事故が起きてしまいましたが、これ限りにするのではなく、今後も恒久的に電力消費に関心を向けて頂き、原発の安全性向上等にも繋がっていってほしいです。福島と同じ様に大きな原発が近くにある者としても、身を裂かれる思いであります。

2004年の中越地震では余震が長引き、晩秋の寒さがしみる中で車中泊を続けました。そんなある晩、被害の状況を知らせるラジオから、シューベルトの子守唄がオルゴールで流れてきました。不安で不安で眠れなかった時に、聞き慣れたメロディーが心にあたたかく染み込んだのを忘れられません。

私事ではありますが、『のだめカンタービレ』を読んだ勢いそのままに音楽駄弁りブログを開設しまして(汗)、それから4ヶ月ほど経ちました。何ぶんにも辺鄙なブログですので、「こんな事をしても何の意味も無いのではないか」と思いつつも、被災者の皆さんの心が休まる様な音楽を掲載していくなりして、あれこれ方法を模索しつつ、ブログを続けていきたいと思います。なるべくいつも通り過ごす事が、あるいは現在の最善だろうか、と考えている次第です。

投稿: むぎ | 2011.03.18 14:18

むぎさん、コメントありがとうございます!

むぎさんは複数の地震で被災されているのですね。ご家族もご無事で本当によかったです。また、福島の原発事故は未だ収束を見ずにご不安な日々を過ごされているかと思います。どうぞご自愛ください。

私自身は原発肯定の意見を持っておりますが、今回、制御力を失った原発の恐ろしさを目の当たりにし、認識を改める必要があると考えております。原発を肯定するのなら、もっと原発について知り、都市の電力供給のあり方、身の過ごし方を考える必要があると思いました。

あ、むぎさんのブログ拝見させていただきました!すばらしい。音楽に対するご造詣の深さに感じ入りました。まさに宝の山ですね~。ブックマークして毎日じっくり読ませていただきますね!

投稿: nya | 2011.03.19 09:00

コメント返信ありがとうございます(*^_^)

お褒めの言葉を頂き恐悦ですっ(*゚∀゚*) しかし、Nya様のような人気ブログに、私の様な田舎臭い駄文ブログのURLを載せてしまい、今となってはお恥ずかしい限りです…しかも長文コメント付きで…(滝汗)。

今後当ブログで のだめに関する記事を執筆する際に、Nya様の感想記事やのだめアナリゼ等を、トラックバックと共に引用させて頂けたらと思っています。そんなこんなで(どんなこんな?)、これからも宜しくお願いします♪

投稿: むぎ | 2011.03.26 22:04

むぎさん、コメント返信ありがとうございます!

ににに人気ブログ!?そんなことありませんよ!マイナーな辺境ブログです~。

むぎさんの文化の香り高いブログに引用いただけるなんて光栄です!どうぞ末永くよろしくおねがいいたします~。

投稿: nya | 2011.04.03 00:59

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