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「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」感想(短感)

「新世紀エヴァンゲリオン」(ヱヴァンゲリヲンに非ず)は、おそらく私が人生最初で最後にはまったアニメだ。1995年の年の暮れ、夫に今度のガイナのアニメはすっげー面白いぞといわれてビデオ録画を見せてもらったのが最初。夫婦ではまりまくり、あらゆるアニメ誌、ムック、アニメ・サブカル系の評論をおっかけ、ビデオ、フィギュアやプラモ、トレーディングカードまでコンプリート。TV版オンエア最終回に振り回されまくって、1997年の劇場版EoEを観て、いろいと納得できない部分もあったけど、まあムリヤリ納得して全てが終わった - 筈だった。

それ以降は、すっかりアニメからは遠ざかってしまった。唯一、大好きな戯曲家、中島かずきさんが脚本と構成を担当した「天元突破グレンラガン」に熱狂したくらい。

ために、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の劇場公開もスルーで、ヱヴァなんかもういいやなあんて気分でいたのに、7/3(金)、地上波で放映された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観たら、結構面白く、なんだか懐かしくなっちゃって近所のシネコンに予約入れて、土曜日に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観ちゃったよ。グレンラガンでは決して劇場版についてこなかった夫も「365歩のマーチ」を歌いながらついてきた。

いやあすげえや圧巻圧巻。私はグレンラガンに熱狂し、これがエヴァ後のアニメのひとつの最高点と思っていたけれど、正直ヱヴァは格が違った。勿論、グレンラガンはよく出来ているアニメなんだけど、私はこれをアニメではなく演劇作品として観ていたのだなあと思ったよ。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」はTV作品のリメイクでもなく、EoEの方向修正でもなく、新しい2009年の作品となっていた。シンジ君は格好よく(螺旋力でてたね)、レイはいじらしく、アスカは切なく、そしてゲンドウの夢は何回物語が巡ったとしてもかなわない - 。

これは果たして何巡目かの物語なのか、「you can (not) advance」の持つ意味は(成長する(しない)のは誰に向けてのものなのか)、レイにはより濃くユイの魂が宿っていることが暗喩されているにもかかわらず、ヒロインポジションが与えられているのは何故か - などなど思うところは確かに多いんだけれど、いまの私には、深く考察するほどの情熱はない。やっぱり私のエヴァはEoEで終わっていたのかなあ。ちなみに私のエヴァ観は"ゲンドウがユイを取り戻そうとしてかなわぬ話"だ。夫に鼻で笑われたけどな。

しかし序と来て破、TV版19話「男の戦い」までを見事にリファインして新しい物語を作り上げていたけど、物語の真価が問われるのはこれ以降。EoEの解答にムリヤリ納得した私が再び納得する日は来るのだろうか。まあミサトさんの予告も観た事だし、次作も映画館に観にいっちゃうと思うけどね!願わくばその日ができるだけ早からんことを!

P.S.夫の感想はレイちゃんヒロイン、マリちゃんはフリクリキャラだよな~、でした。観てからにゃーにゃー言ってるし(まあフリクリのハルコなんだけどね)。私以上にXXだな~。(月面で冬月先生とゲンドウが載ってた宇宙船がスペース1999の宇宙船だって即効気がついてたけどな)

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