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2006.12.23

NODA・MAP 「ロープ」感想

うわわわわ、こう来たか~。クリスマスイブイブの浮かれ気分を一気にずんどこ(違)に落とす鬱展開!にもう降参って感じ。

本年最後の観劇はシアターコクーンで野田地図。藤原竜也くんと宮沢りえちゃん、このみょ~にカツゼツがよくって芸達者な若い二人の肩にどすっと重い荷を負わせて御大はかわらず舞台のパックとなって遊んでる感じだったな。特にりえちゃんは大変な役どころなのにきちんと演じていてすごかった。公演期間は長いので魂持っていかれないように注意してください。

以降物語の核心にからむネタバレしてるんで観劇予定の方はスルーしてくだされ~。

てなわけで開口一番ネタバレしますが、今度のお題はベトナム戦争、しかもソンミ村の虐殺。リングのなかにベトコンがわらわらわいてきたときは、「あ~御大やっちゃったよ」って頭を抱えたよ。「オイル」では9.11と原爆、「贋作・罪と罰」では全共闘、ときてロープではベトナム戦争。しかも前二作と違ってあんま料理してなくって生っぽいんだわ。こりゃきつい。

冒頭りえちゃんタマシイが「あたしミライからやってきたんだよ」という - のでてっきりSF仕立てかと思ったら、そのミライは未来ではなくソンミ村(ミライ地区)のことだったのかと気がつくのは物語も終盤、無制限一本勝負のリングの上でエスカレートし続けるレスラーの戦いの上空からヘリコプターの爆音が響いてきたときだった。

なぜ繰り返し訴え続けるのか。世界は平和でないのだと、ひとびとの今日は凄惨な血のあがないの上に成り立っているのだと。

■ で、主観がはいりまくりのあらすじなど

舞台にはプロレスのリング。青年ノブナガ(藤原竜也)は弱小プロレス団体に属する引きこもりのプロレスラー。団体主催者の父の死をきっかけに「プロレスは八百長ではない」という思い込みが揺らぎ、リングの傍らの小さな小屋にひきこもってしまう。

弱小団体の今後をかけたタッグマッチが近づいているのにひきこもったままでてこないノブナガをレフリーのサラマンドラ(松村武)と相方カメレオン(橋本じゅん)はやきもきしながら見守っている。タッグマッチの相手はヒールとして有名なグレイト今川(宇梶剛士)。ノブナガには八百長で負けてもらわないといけないが、それを説得しかねている様子。

そこへ現れるのは弱小CATVのテレビクルー、ディレクター夫妻(野田秀樹・渡辺えり子)とAD(三宅弘城)。ノブナガは偉大なプロレスラーになると主張するディレクターを鼻で笑う妻。

彼らと鉢合わせするのが、少女タマシイ(宮沢りえ)。彼女はリングの下に棲むコロボックル - 「父とともにミライから来た。コロボックルの使命は人類を観察し、実況し続けることにある」と主張し、ナニモカモ実況してしまう。

そんな彼女はノブナガに問いかける。「でもプロレスって、なんであんなにわざとらしいの?」

なぜプロレスラーはロープに弾き飛ばされた後、わざわさ相手が待っているリングの中央に戻るんだろう。戻らずに我慢すればいいのに。なぜやられるとわかっていて跳ね返るのだ。まるで催眠術だ。目覚めろプロレスラー!そして止まるのだ。

そしてノブナガは目覚める。八百長ではないプロレスをするために、グレイト今川をリングの上で血祭りに上げる。その様子を冷静に実況し続けるタマシイ。

半死半生のグレイト今川を抱いて妻の明美姫(明星真由美)は叫ぶ。「誰か、あのキチガイをつかまえて!」。しかしそこへあらわれた入国管理官(中村まこと)は「リングの上で流した血は本物ではない。戦場で血がどれだけ流れようとも誰も逮捕されない」と語る。

ノブナガの行為をとがめるカメレオンにノブナガは語る。「観客の目にはプロレスは漫画に見えている。どんなにひどい暴力行為を行っても、観客に聞こえているのは漫画の擬音だ。俺はもう擬音の中では戦わない」と - 感化されるカメレオン。タマシイはいう、「私の使命は人類の『力』を実況放送すること」。 ノブナガは答える「『力』とは人間を死体にかえる能力だ」と

かくして始まるリングの上の血の惨劇 -

■ てなわけで感想

序盤、ひきこもりのノブナガとかわいいコロボックル少女タマシイを中心に笑いを交えて軽快に物語はすすむ。弱小CATVの三人組のまるでタイムボカンの三悪のようなかけあいが楽しい。三宅アニキは野田御大と渡辺えり子さんという演劇界の重鎮にはさまれてすげーがんばってると思いました。

しかしりえちゃんは細いなあ。カトンボみたいな長い手足に、両手の指でつくったわっかの中に入ってしまうよな細いウエスト。なのに上背があるせいかひ弱さを感じさせない演技が素敵。声も良く通る。初日直後は、台詞のおぼつかなさを指摘されていたみたいだけど、あれだけ怒涛のような台詞をアテられてはそれもやむなしって感じ。本日見た限りでは危うさもなく、完全に仕上がっていて怖いくらい。

藤原君は(じゅんさんに「俺はキラじゃね~!」..とデスノートネタをふられていましたな)は、あいかわらずの巧みさ揺るがなさ。しかし惜しいかなプロレスラーにはみえないんだよなあ。背が高くて骨格が細いからせいぜい学生プロレスって感じで...こればかりは体格もあるのでしょうがないけど、宇梶さんやじゅんさんが完全にそれらしい身体を作ってきていたのでいかにも残念。むしろ体ががっちりできてる三宅アニキをプロレスラーにしてあげたかった。

あ、明星さんをひさびさに舞台上で観られて感激...あいかわらずのダイナマイトボディ。マイナーだった頃の氣志団の芸(?)にほれ込んで、あっさり女優の道捨ててマネージャーをかってでて、彼らをメジャーに押し上げたら、さくっと舞台に戻ってきちゃうなんて、それでブランク感じさせないなんて -なんて素敵なんでしょう!(ほれぼれ)

じゅんさんが噂の男に引き続いて狂気と暴力大爆発。さいしょはおちゃらけキャラだったのにちょっとずつ恐怖の方向にずれてくるサイコな演技はお手の物。リングの上では藤原君を完全に喰ってました。

笑いのうちにどんどん物語は加速していく。ノブナガとカメレオンを狂気が蝕み、それをいつもテンション一定のタマシイが実況する。鉄条網が舞台を横切り、ヘリコプターの爆音がとどろき、ノブナガとカメレオンは軍服になり、他の登場人物はベトナム帽子をかぶって、観客ははじめて気付くのだ - 自分たちがソンミ村の大虐殺の只中に置かれていることを。この転換は見事だ。

水をうったように静まり返る観客。そしてこれでもかこれでもかとタマシイは実況する - ソンミ村でおこなわれた陰惨な米軍の所業を事細かに。もうやめて、知らせないで。コクーンを埋めた(立ち見有)観客の心のうちはただこれに尽きるだろう。そして思い至るのだ。なぜロープなのかと。

人はリングの上ならばいかに残虐な戦いが行われていようと、恐怖せずに熱狂する。なぜならそれがショーだから。カリカチュアライズされた戦いだから。そしてその『観客』感をより増幅させ熱狂を煽るのが『実況』なのだ。

そして野田さんは観客に問うのだ - カリカチュアライズされた戦いと戦争の間にどれほどの差異があるのかと。

笑いから狂気への見事な転換。平和に麻痺してしまった私たちへの警鐘 - いまこの瞬間も世界でこれだけの惨劇が起きているのにあなたがたはいつまで観客でいるつもりなのだってね。

その論旨は以前の野田地図演目でも首尾一貫しているし、そのムキダシの主張にもおおむね同意なんだけど、今回はどうにも腑に落ちなかった。

だってノブナガはロープに投げられても跳ね返らなかったじゃない - 催眠術はとけたんじゃないの?なぜリングの上の狂気にとらわれなければいけないの?漫画に見えるプロレスは演出された戦い=戦争じゃなくって、演出されたリングから降りたはずのノブナガがほんとの戦争を仕掛けたのはなぜ?

練りが足りないのか、いやむしろそれも含めて半生の題材をだしてきて観客に考えさせるのが目的なのか、あれからずーっと胸の奥になにかがつっかえた状態がキモチワルイ。

(感想未完、「新潮」掲載の戯曲を読みながらもうちょっと考えます)

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冴えないプロレス団体で、プロレスが八百長だったことにショックを受けて引きこもるレスラー……自分は未来から来たコロボックルだと信じ、ニンゲンの実況中継をするマットの下に棲む女……。 [続きを読む]

受信: 2006.12.25 01:01

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