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転ぶということ

会社のエントランスは、(まあどこもだいたい似たようなものだが)、ちょっとした段差がある。
さて帰ろうとエントランスをでたとたん、前を歩いていた男性がその段差を踏み外し、もんどりうって倒れこんだ。

周囲の社員たちはいっせいに立ち止まって - しばし"彼"を凝視する。

彼は直ぐに立ち上がり、何事もなかったかのように散らばったかばんや携帯電話をひろいはじめた。と、周囲もほっとしたようにもとの動きを取り戻す。

子供のときはほんとうに良く転んだ、わずかな段差、石その他の障害物につまづいて、そして何もないところでさえ。
ひざ小僧はいつもかさぶたに覆われていたような気がする。恥ずかしくなんかなかった。それは子供の勲章だから。

でも大人になって転ぶのは恥ずかしい。わたしも駅の階段を上っていたとき、とても派手に転んでしまったことがあった。かばんは飛ぶし、パンプスは両方脱げてしまうし、ストッキングはぎたぎただし、泣きたいくらいに恥ずかしかった。でも一番恥ずかしかったのは、転んだことそのものより、そこらへんに散らかったものを周りの人たちが拾い集めてくれていたわってくれたことだった。「大丈夫です」と気丈に笑って皆にお礼をいったけれども心の中では「うえええん、恥ずかちーよー」と号泣していたのだ。大人なのにね。

この経験は割りと普遍的なのではないか?

だから大人が転んだとき、周囲は一瞬動きをとめてその人の動静を見守り、大丈夫そうに見えたならその人の意向を汲んでできるだけ知らんふりをして何事もなかったかのように振舞ってあげるのだ。

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コメント

転ぶのは、たしかにはずかしいです。
あと、はずかしがっているのがばれるのが恥ずかしいです。

一人だったら転んでも平気。
冬に転んでひざをすりむくと懐かしい痛みを体験できる。「ああ、子供の頃の感覚…」と嬉しいような切ないような気持ちになったり。

投稿: natuna | 2004.08.23 22:47

natunaさん、コメントありがとうございます。

そうそう、一人で誰もみていないと転ぶのもへいきです。
「てへ、転んじゃったい」みたいな感じで、しみじみしちゃいます。

投稿: nya | 2004.08.25 22:52

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