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2004年8月

台風禍

8月30日 月曜日の出張は危険を孕んでいた。行き先は名古屋。新幹線利用。西からは大型の台風16号襲来中。ひょっとして帰れないかも。どきどきしながら新幹線に乗るがつつがなく運行。しかし名古屋の手前あたりからひどい降りになった。出張の予定を消化し、夜。ネットで調べた東海道新幹線の運行情報に問題はなかった。

名古屋駅の自販機で新幹線の切符を買って改札を済ませ、電光掲示板の表示を見たときに異常に気づいた。乗車予定の「のぞみ」は約10分後着のはず。なのに電光掲示板にはみあたらないのである。駅員さんに聞くと、山陽新幹線がとまっているため新大阪以西始発の新幹線が大幅に遅れているのであった。東海道新幹線は通常運行のため、新大阪始発の新幹線はほぼ定刻どおり。

なら自販機で切符を売るなよ。お弁当とビール買っちゃったよ(;-;)。

一瞬あせったが、のぞみの切符を至近に来たひかりに振り替えてつつがなく帰ってきたのである。新大阪以西への出張だったら帰れなかったところであった。あぶないあぶない。


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ライブ・イン・ロシア

TVチャンネルをザッピングしていたらNHKの衛星放送で、ポール・マッカートニーのモスクワの赤の広場コンサート番組にあたった。

レーニン廟の際、赤の広場を埋め尽くすオーディエンス。翻るロシアと英国の旗。プーチン大統領とゴルバチョフ前大統領も居て、皆楽しそうにポールの歌に聞き入っている。

ポールは言った。ビートルズの頃、僕がこの光景を - 赤の広場で僕は「Back in the USSR」を歌っている。そこには民主選挙で選ばれた大統領と前大統領が同席しているんだ。- 予言しても誰も信じなかったろうね。でも僕は確かにここで歌っているんだと。

音楽は世界を緩やかに変えていく。それはとても幸福な侵略だと思った。

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葡萄の日

ワインが好きだ。勿論ワインだけじゃなくてお酒全般がすきなんだけど。

詳しくないし、味覚も鋭くないが、バブル時代にフランス料理に凝ってその流れでワインも一通り学んだ。いくつか好きな銘柄もできて、自宅にワインセラーも備えた。(プリムール用だけどね)

もともとそういう文化に育ってないので一夕一朝には無理だけど、少しづつ学んでいければ良いと思っているよ。

六本木交差点近くのこじんまりとしたワインバー「マルズバー」で友人と飲み。カウンターとテーブル1席だけのたいへんこじんまりとした店だが、フランスと北米南米のグラスワイン充実、そして食事も満足。二人で何皿かアラカルトを頼んだら全て二皿にわけて持ってきてくれた。たいへんに気分の良い応対(フォアグラのパテ・スズキのカルパッチョ・カニクリームコロッケ・からすみのパスタは全ておいしかった)

で、そこで今日はじめて飲んだオーボンクリマ・シャルドネのダブルエックス。シャルドネは好きなんだけど、カリフォルニアのは実ははじめて。厚みのある味にたいへん感銘した。で、家に戻ってネットショップで注文するわけだ。

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ABCはもうすぐ復活

今日、飲み会で六本木に行ったんだ。飲んだ後足が向くのはあの緑のabcの看板。

「そっか、もう青山ブックセンターはないんだ」....

ちょびっと悲しい気持ちでお店の跡地をみたらこんな貼り紙が!嬉しいよう。

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経営再建中の「青山ブックセンター」、営業再開へ

YOHANさん、ありがとう!再開したら公約どおり毎週買いに行くからねっ!

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転ぶということ

会社のエントランスは、(まあどこもだいたい似たようなものだが)、ちょっとした段差がある。
さて帰ろうとエントランスをでたとたん、前を歩いていた男性がその段差を踏み外し、もんどりうって倒れこんだ。

周囲の社員たちはいっせいに立ち止まって - しばし"彼"を凝視する。

彼は直ぐに立ち上がり、何事もなかったかのように散らばったかばんや携帯電話をひろいはじめた。と、周囲もほっとしたようにもとの動きを取り戻す。

子供のときはほんとうに良く転んだ、わずかな段差、石その他の障害物につまづいて、そして何もないところでさえ。
ひざ小僧はいつもかさぶたに覆われていたような気がする。恥ずかしくなんかなかった。それは子供の勲章だから。

でも大人になって転ぶのは恥ずかしい。わたしも駅の階段を上っていたとき、とても派手に転んでしまったことがあった。かばんは飛ぶし、パンプスは両方脱げてしまうし、ストッキングはぎたぎただし、泣きたいくらいに恥ずかしかった。でも一番恥ずかしかったのは、転んだことそのものより、そこらへんに散らかったものを周りの人たちが拾い集めてくれていたわってくれたことだった。「大丈夫です」と気丈に笑って皆にお礼をいったけれども心の中では「うえええん、恥ずかちーよー」と号泣していたのだ。大人なのにね。

この経験は割りと普遍的なのではないか?

だから大人が転んだとき、周囲は一瞬動きをとめてその人の動静を見守り、大丈夫そうに見えたならその人の意向を汲んでできるだけ知らんふりをして何事もなかったかのように振舞ってあげるのだ。

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胃痙攣と私

朝の通勤電車。いつものように吊り革につかまって新聞を読んでいた私であったが、突然胃の腑あたりに灼けた火箸を突きたてられるような痛みが走り、思わず読んでいた新聞を取り落としてしまった。胃痙攣か?いやな予感だ。これから出勤して午前中は客先に出向かねばならない。とりあえず、かばんの中をごそごそとあさって常備薬の胃薬を口に含む。胃痙攣ならばまさに七転八倒の苦しみとなるがそこまでは至らないようでほっとするが、ずきずきとする胃を抱えての出勤はとても嫌だ。

私は胃痙攣持ちだ。若い頃の十二指腸潰瘍の名残で、だいたい数ヶ月に一度発症する。たいてい明け方だ。激痛で目が覚めると汗で体が冷たくなっている。胃の形がはっきりと意識され、それがぎゅううっと掴まれる様に収縮するのだ。下手に胃にものがはいっていると吐いてしまうが、たいでいは空の状態でおこるため、よろよろと薬箱を開け常備薬を飲みあとは七転八倒しているだけだ。

結婚直後は吃驚して気遣ってくれていた夫も直ぐに慣れてしまい今は目も覚まさない。実際のところ薬を飲んで2,30分もすれば痛みは嘘のように治まるのである。しかしその最中は本人煉獄でのたうつ罪人のように「もう食べませ~ん。これからは真面目に生きるよう..(;-;)」などとわけのわからない懺悔をしているわけだ。これは苦しいよ。まあ治まれば次に胃痙攣がおこるまで忘れているけど。

幸いにして通勤電車での胃痙攣は免れたが、別の種の胃痛だったようであれから一日、まだ胃が重いのであった。

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美の祭典

朝起きる時間帯がちょうど五輪中継が佳境の頃のため俄か愛国者になって日本選手を応援中だ。
体操男子団体決勝の時は日本選手たちのゆるぎない技術力と精神力に感動したが、中継アナウンサーと解説の名コンビにもしびれた。国という枠を超えた体操という競技そのものへの深い愛情が感じられたからだ。非常に品格のある中継で朝から良い気分になった。この手の行事には非常に冷笑的な夫も「おお愛ちゃんはなかなか強いな」などといいながら卓球中継を眺めている。お祭りはいいな。

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窮鼠が猫を噛み中

会社生活も長いし、もともと粗忽者なので窮地に立たされたことも多い。かなり脚色してるけどこんなかんじ。

- 有償セミナーの講師を担当した際、セミナー開始直後にパソコンが壊れプレゼンもデモもできなくなってしまった。資料を元に講義はできるがデモが要のセミナーだったから窮地に。満場の客席に向かって平謝りに謝った。
- 客先に収めたシステムが原因不明のトラブルに見舞われた。最終的にサーバー機に起因する故障であったが、メーカー技術者にも不明な絶妙の壊れ方で最初はネットワークを疑ってしまい、解決までに時間がかかり針のむしろ状態に。
-お客様のシステム室でトラブル復旧にあたっていたら役員室にいきなりつれていかれて糾弾されたこと。(役員の方にはトラブル収拾後は真摯に労っていただいてかえって恐縮した)

いずれも昔のことなので、そのときどんなに苦しかったのかはもう覚えていない。ただ、進退窮まって夜中に自宅でわんわん泣いていたら、夫に「いま泣いてもなにも進まないだろう。やることやってから泣けっ!」とひどく怒られたことや、客先から帰社する電車のなかであれこれと思い悩んでいるうちに乗り過ごして終点までいって唖然としたことや、お客様に「御社を信頼しておまかせしていたのに!」と詰られただただ頭を下げていたことなどが断片的に思い起こされるだけだ。

まあ、なぜそんなことを語っているかというといまわりとピンチだから。私は全然学習しないなあとかなり自己嫌悪で仕事してるのだ。(orzってやつだね)

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<だからなんで人が机に向かっているときに邪魔をするのだ>

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雨の日の猫はとことん眠い

暑いさなかは板の間で伸びきってねているねこまるだが、今日はさむいため丸まっている。わかりやすい。

20040815C.jpg<洗濯かごがお気に入り>

20040815.jpg<ズーム>

上から見ると陰陽模様みたい。

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民族の祭典

スポーツにはあまり親しくないのであるが、なぜか見てしまうオリンピックの開会式。朝4時に起きたらちょうど各国選手団入場の前半がおわったところ。そこから開会式終了まで見て、前半は再放送でみた。

なぜ欧州のエキシビションでは空中バレエが多いのか、なぜ仏伊のユニフォームはいまいちなのかとか好き放題つっこみをいれながらだらだらとみるのが好きだなあ。欺瞞かもしれないけれど、202の国と地域という世界の殆どの場所から様々な思想、主義、人種の人たちが集まって笑っていられる場があるというのは良いことだと思う。期間中の無事と選手の健康を祈って!

20040814.JPG<リフォーム終了した書斎。壁紙/床板にあわせてブラインドと机も新調。そしたら猫が入り浸って..>

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英国逍遥3 週末ロンドン 「ディファレンス・エンジンとの出逢い」篇

uktower.JPG<タワーブリッジは一番好きなロンドンの観光名所だ>

一人の長期出張は週末の過ごし方も思案どころだ。せっかく憧れの英国に来たのだから観光もしたい。しかし、いわばはじめての海外で一人旅だ。旅慣れない、言葉も覚束ないおのぼりさんが果たして無事に観光できるのか。

英国について最初の週末。仕事が割と順調なので度胸がついた私はひとつロンドンに行ってみようと、朝もはやくから町のインフォメーション( i のマークの観光案内所)に出かけた。
聞けば程近いターミナル駅から出ている急行インターシティ(新幹線みたいなものか)を利用すればロンドンへは1時間半ほどでいけるという。英国鉄道初体験!駅までバスで行き、切符を買う。この急行は30分おきに運行されていて非常に便がよい(でもその後、一度突然乗る予定の便がキャンセルになり肝を冷やした)

車内販売のサンドイッチを食べながらのんびりと快適な列車の旅を楽しむ。どこからか「世界の車窓から」の石丸さんのナレーションが聞こえてきそうな感じだ。やがてのどかな田園風景から建物の密集したエリアにはいってきた。Greater London(ロンドン首都圏)だ。ロンドンはユーストン駅に到着した。ユーストン駅はロンドンより北の地域の玄関、いわば上野駅のようなものだ。

ここから地下鉄(Underground)に乗りかえてロンドンの中央部まで、朝出ればお昼前にはついたからそこから半日遊んで夕方かえるパターンが多かった。つまりこれを使って毎週週末はロンドンで遊び倒したのだ!

遊び倒したといってもたいしたことはないよ。まずロンドンについて私はどこへ行ったのか?

「ディファレンス・エンジン」をご存知であろうか?直訳すれば差分機械。それは19世紀後半、英国の数学者チャールズ・バベッジ卿が生涯を捧げて研究した蒸気機関で稼動する万能計算機なのだっ!パンチカードで演算式を入力し、蒸気で動く(!)差分機械で演算を行い、結果をだすというまさに今日のコンピュータの原理の源。バベッジ卿はコンピュータの開祖なのだ .... 実現すればすごかったんだけどねえ。バベッジ卿の設計図になるディファレンスエンジンは何万ものこまかい歯車から構成され、とても過日の技術では制作不可能であったため、プロトタイプが何台か残っているだけなのである。

ちなみにパンチカードを用いて、このエンジンのプログラムを設計したのは偉大な英国詩人バイロン卿の娘、オーガスタ・エイダ・ラブレース。彼女の名前は高度に模式化されたプログラム言語として今も残っている。私がラボで学んだはじめての言語がADAであったのだがこれは余談。

19世紀の技術で制作不能だった機械も、今日の技術では制作できる。時に1992年、英国科学博物館はバベッジ卿生誕200年を記念して、卿の残した設計図をもとにディファレンスエンジンを制作したのだ。コンピュータ業界に身を置くものとしてこれは一度は詣でておかねばならないところであろう。

てなわけで最初に向かったのはサイエンス・ミュージアムなのであった。サイエンス・ミュージアムはロンドンの中心部にあり、最寄り駅はサウス・ケンジントン。ユーストン駅からはビクトリア線、ピカデリー線を乗りついで行く。
ユーストン駅で自動券売機を前にして私は固まってしまった。真っ白いボタンが何個かならんでいるだけで、なにも表示されていないのだ。幸いにも戸惑う私を見て声をかけてくれた人がいた。「Destination?(どこへいくの)」「サウス・ケンジントン!」すると彼女は、まずお金をいれるようにいった。硬貨を券売機に投入するとボタンに該当する行き先が表示されたのだ。なるほどー。私は彼女にお礼をいい無事に切符を購入できた。

ロンドンの地下鉄はUndergroundというが、地下鉄の車両自体はTubeという。はじめて地下駅におりた私は、地下鉄のトンネル部分が小さいのにびっくりした。そして車両はそのトンネルいっぱいに作られているのだ。まさにチューブだ。(災害のときに怖そうなつくりです)。乗換え表示は見やすく、その後なんども地下鉄を利用したが間違えるということはなかった。

さてサウス・ケンジントンは、ハイドパークのごく近くで閑静な場所だ。科学博物館はロイヤル・アルバートホールや自然史博物館などと近接し、多くの観光客で賑わっている。

科学博物館にはいるとまず目に付くのは宇宙コーナー、アポロ10号指令線の実機、スプートニクのレプリカ(美しい!)、月着陸船のレプリカ(でかいっ!)、あとはV2ロケット(長いっ!)などなど。このコーナーだけで宇宙ファンは1日すごせちゃう内容。後の大英博物館でも思ったけど、規模がとても大きいので、プアな英語力も加わって1日では把握すら難しいほど。したがってその後何度も足を運ぶことになる。ワットの蒸気機関、複葉機から現在の戦闘機までなどなど魅力的なコンテンツがいっぱいの場所だ。(この項更新します...)

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英国逍遥2 英国お仕事篇

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<野良白鳥。わりと凶暴>

特に名を秘すイングランド中央部。美しい町の郊外に出張先のラボ(研究開発部門)はあった。

世界どの国でもラボの立地とつくりは似たり寄ったりではないだろうか? 郊外にあって広い敷地に低層の研究棟。社員は近くに住んで車で出社する。日本でも出張先もほぼ同じで違和感はなかった。ただ、庭先に社員用パブ(!)があって、家族も利用できるというのがちょっと英国っぽかったかな。また、庭には山のように野うさぎ(ピーター!)がいて、窓から外をみると芝の間からたくさんのうさぎの耳がみえた。さいしょはもの珍しがって眺めていたがやがて飽きた。

出社した私は、早速英国側のプロジェクトチームに引き合わされた。このチームの顔ぶれがもろ英連邦で、英国香港カナダ南アといった人種から構成されていたのが面白かった。打ち合わせをした後、席が与えられ早速仕事がはじまった。

それまでご多分にもれず、欧米人というのは残業しない、個人主義で自分以外の領分には決して口をださない..などと私も思っていた。ドメスティックな環境にしか身を置いたことのない私が、そんなドライな人たちとお仕事ができるかしら..と出張前は不安であった。その不安は当たっていたし外れてもいた。
彼らは確かに滅多に残業をしない。夜6時を過ぎればオフィスはほとんど無人になるのだ。しかしその分、朝も早かった。 彼らは朝の7時頃には出社しているのだ。早朝から仕事をはじめ、きっちりと夕刻には終わる。もちろんトラブルやスケジュールによっては残業も厭わない。要するに英国人も(日本人も)働く人は働く、当たり前のことであった。

また、彼らは確かに自分に振られた仕事以外はしない。しかし、それは言い換えれば自分の仕事を責任持って遂行するということだ。日本語環境が想像できないため、ときにとんでもない主張をしたりもするが、こちらで筋道だてて説得すればちゃんと対応してくれる。新しい仕事範囲が発生するようならマネジメントに相談すれば良い。それが妥当なものならば、新しい担当者をちゃんと振ってくれる。待っているだけではなにも解決しないが主張さえすればちゃんと対応してくれるのだ。

というわけで、ひと安心して仕事をすすめることができたのだが、仕事以外では気になることが多々あった。
私の席は、研究所内の高いパーティションに区切られた一角で、仕切りの上部には蛍光灯がとりつけられているのだが、その蛍光灯が妙に曲がっているのだ。よくみると真新しくてきれいな研究棟のあちらこちらにそんなちょっとした歪みが見える。トイレのドアの建てつけが悪いとかね。
そして研究所で働く女性たち。たとえば日本のOLは、おおむね出社時には髪の毛をきれいにセットしている(除く私)
しかし英国女性は、どうやらヘアスタイルには無頓着のようで、きっちりとしたセットというのをついぞみなかった。ありていにいえば切りっぱなし洗いっぱなしだ。英国人てひょっとして割と大雑把で無頓着? 同じ性向を持つ私は妙に居心地のよさを感じていた。

仕事の話に戻ろう。

日本語パソコンをセットアップした私は、開発中のコードを導入しテストケースを実行していった。不具合やアヤシイ動作はレポートにして担当者に修正をお願いする。ある時、データが正しく表示されない不具合がでたので、画面のハードコピーをとって、担当者にその旨報告した。すると彼は言った。「どうしてこれが不具合なのだ。ちゃんとデータは表示されているではないか!」「???」
彼が指した画面のハードコピーには、一面〓が並んでいた。この記号は通称下駄、該当文字コードがない場合に表示されるものだ。これには私もショックを受けた。彼らは日本語の文字と記号の区別もつかないのだ。道理で海外で製作された映画の日本の風景にはアヤしい日本語がならんでいるわけだよ。

「この二本の棒は該当文字コードがない場合に表示される記号で文字ではない。即ちここに表示されている文字コードは全部こわれているのだ。どこかで表示するデータの長さを1バイトをベースに計算しているため途中で分断されたのが原因であろう」と説明し、納得して修正してもらった。次からは画面のハードコピーをつける際には、これがどういけないのか詳細な説明をつけるようにした。考えてみれば私も知らない言葉、たとえばハングルやアラビア文字がならんでいれば、それが正しいものかそうでないかは全く判別ができない。それと同じであろう。

ちょっとしたカルチャーショックと安堵の繰り返し。日本のごく狭い範囲の地域しか知らなかった私には英国はなにもかも新鮮で面白かった。プライベートではなく仕事なのもよかった。出張期間内で仕事を終わらせるには自分が動くしかない。英語ができないしー恥ずかしいしーなんていっている暇もなく、半ばヤケクソ気分で、片言な英語を駆使して走り回っていたのであった。(その3 「週末ロンドン篇」に続く)

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英国逍遥 その1 はじめてイングランド篇

いちばん美しい英国を見たければ6月に訪れると良い。青い空、さわやかな風、家々の庭先に咲き乱れる花。さえずる小鳥。いつまでも沈まない太陽。きっといっぺんで好きになると思う。ジューンブライドという言葉はヨーロッパのためにある。一年で一番美しい季節に祝福されて結婚するのだ。
ukflower.JPG<美しい軒先の花>

でも私がはじめて英国を訪れたのは11月だ - 。どんよりと曇った空。寒々しい空気。一寸先の風景も見えない朝の霧。枯れ木と荒野。太陽は8時に上って午後3時に沈む。漱石を気鬱の病にした一年で一番陰鬱な季節。

もう十年以上も前になる。生まれてはじめての海外、しかも一人での長期滞在。英語の訓練は受けていたが、慣れていないから覚束ない事はなはだしい。国内出張すら経験のない私をいきなり単身海外に送り出すなんて会社も無謀なことをしたと思う。

しかし誰にだってはじめてはある。不安だらけの英国出張をなんとかのりきった私は仕事に自信がついたし、一人旅もできるようになった。なによりも一年でいちばん陰鬱な季節の英国は、私にとってなにもかもが新鮮でかつ懐かしく(なにしろクリスティやビートルズ、モンティ・パイソン等で空想の世界では親しんでいたのだ)十分に魅力的に映ったのだ。

当時、私は会社の開発部門で、英国のソフトウェア製品を日本語化するプロジェクト・チームに所属していた。今でこそOSがマルチリンガル化されユニコード対応が可能となり、ソフトウェアは様々な言語環境を想定した設計がなされているが、昔はそうではなかった。特にアルファベットと漢字、いわゆる1バイトと2バイトの文字コード環境が存在し、アプリケーションで日本語を処理するためにはOSのみならずハードウェアの対応が必要だった時代の話だ。

当時のソフトウェアの日本語化は大きく分けて2つの作業が発生した。
 1.プログラムのデータを処理する箇所を日本語のデータが処理できるように変更する
 2.ユーザーインターフェース、各種エラーメッセージやヘルプ、(マニュアル)を翻訳する

そして最後に、これらを統合して日本語環境のハードウェア、OS上で稼動することを確認する。現在では、多くのソフトウェアは1の部分が最初から考慮されているため、大雑把にいえば2の部分だけ各国の言語に対応すれば良しとなる。従ってソフトウェアは発表時即各国語に対応したものが提供可能だが、過日は半年、一年遅れが一般的だったのだ。私はテスト、つまりソフトウェアが正しく日本語環境で稼動するか検証し、不具合があれば修正をするパートを担当していた。IP-VPNで高速でセキュアなイントラが存在し、かつハードに依存しないマルチリンガルなOSがある現在からは考えられまい。私は日本語対応パソコン(これは別便で発送)、OSとソフトウェアがはいった山のような3.5インチフロッピーを持って英国に渡ったのだ...。DOS/Vというハードに依存しないOSが発表される2,3年前のことであった。石器時代の話のようだよ(;-;)

閑話休題。

成田 - ヒースロー間は、どのエアラインもおおむね日本の朝11時に出発し、同日の午後4時に到着する。飛行時間は13時間。時差は9(サマータイムで8)時間なのだ。そして、11月のその時間はとっぷりと日が暮れている。暗いヒースローについた私は呆然としていた。空港は治安が良くないと聞いていたので、パスポートはしっかりとお腹にまいて、重いスーツケースを引きずって、おそるおそるバス会社のカウンターに向かった。

出張先はイングランド中央部、バーミンガムやヨークのような著名な地方都市ではなく、小さな町の外れに会社の研究開発部門があったのだ。車がいちばん便がよいので、出張する人は専らレンタカーを利用していたが、私はとてもそんな自信がない。英国で私の出張をアレンジしてくれた秘書の人は、私が海外での車の運転はできないと訴えると、コーチ(長距離バス)をすすめ、チケットも予約してくれたのであった。

コーチのカウンターで予約番号を言って、停留所を指示され、私はおそるおそる空港の外に出た。日本便が到着したのはターミナル4。ヒースローは4つのターミナルのある巨大な空港だ。3と4はアジア路線が多いため、インド系の人たちが多いのにびっくりした。当然、こんなたくさんの外国人をみるのは初めてだ。話しかけられたらどうしようーと泣きそうな思いで、バスにたどりつく。

英国は道路がとても発達している。道路は記号で表示され、大きい順にM,A,B 各記号内でも数字の1けたから4けたまで分類コードがある。さしずめMの1桁台が東名や名神などの大きな高速道路か?Bの4桁くらいになると、農道レベルになる(あくまでイメージね)。国内の主要都市はMの1桁道路で結ばれ、基本的にはフリーウェイ。料金がかかるのは一部の橋くらいだ。地図表示もわかりやすく、交差点はランドアバウト(ロータリー)方式で、曲がるところを間違えてもリカバリーがきく。サービスエリアも完備。車で旅行するには本当に有難い国である。
当然長距離バスも発達している。駅と接続したり、空港と接続したり、様々な交通機関と縦横にリンクして、車に乗れなくてもおよそどこへでもいけるようになっているのだ。

しかし、当時はそんなことわかるわけもなく、バスの運転手さんは腕に刺青したいかつい人だし、言葉はわからないし、外は真っ暗で景色もみえないし、へんなところで降ろされちゃったらどうしようと泣きそうな思いでバスにのったのであった。

そして2時間。降ろされたのは目的地最寄のサービスエリア(ここがバス停になっているのだ)。時間も正確で、当時現地に赴任していた人が迎えにきてくれた。ずっと緊張していたがここに至ってはじめて気が抜けた。

そして滞在するホテルに到着したのが夜の8時くらい。日本から英国の地方までノンストップ、すっかりへとへとになってしまった私は荷解きもせずにベットに倒れこんでしまった。

翌日は日曜日。起きたのは朝の七時くらいか?当然、まだ暗い。暗澹たる気持ちになる。私はホテルの食堂に降りていった。会社指定の宿泊先はオーナー夫妻自ら運営する20室あまりの小さなホテルだ。食事もご夫妻がサーブしてくれる。ここでイングリッシュブレックファストの初体験と相成る。メニューから選んだオレンジジュース、コーヒー、サニーサイド、ソーセージに焼きトマト..そしてごく薄くてかりかりの全粒粉パンが数枚トーストラックで供される。

コーヒーはまずいが、ジュースはフレッシュで目玉焼はつやつやであつあつ。ソーセージはつなぎが多くて塩辛いけどやみつきになる味で、焼いたトマトは以降私の大好物となった。そしてなによりもトースト!日本式ふわふわの食パンが苦手な私にとって薄い(推定10枚切り)全粒粉パンをこんがり焼いたクリスピーなトーストは新鮮な驚きであった。

これが英国式朝ごはんかー。本でしか知らない知識が目の前に展開され味わえる嬉しさ。アレなコーヒーですら、これがポワロが泥水みたいと形容していた英国のコーヒーなのねと感激しながら飲んでいたのだ。ミーハーだ。

そうこうしているうちに夜もあけてきた。部屋に戻って荷物を整理し、とりあえず小さな町を探検しようと外にでた私はびっくりした。前の夜についたときは暗くてわからなかったけど、そこには童話に出てくるような町並みが広がっていたのだ。

イングランド中央部の町、すなわちハートオブイングランド、コッツウォルズは英国でいちばん美しいといわれる地方だ。ライムストーンの石造りの建物で統一された町並み、石畳の小路、町の中央部を流れる運河には野良白鳥や鴨が遊んでいる。きれいなアーチを描く橋。その袂には尖塔をいただく教会と墓地。どんよりと曇った陰鬱な天気の下でも、その町の美しさは十分にわかった(そして後日、夏の出張でこの町に滞在した際には花と緑と光に彩られた風景の美しさを十分に堪能した)。 町はとても小さくて一周するのに30分もかからない。それでも観光地だけあって中心にはインフォメーション、おみやげ物やさんも並んでいるし、もちろん銀行も本屋もスーパーマーケットも完備。レストラン、マクドナルド、ピザハットもあり、どうやら食を含めて生活には困らなそうなことを確認し、ついでにマクドナルドで昼食を買って安心してホテルに戻ったのであった。(その2「英国でのお仕事篇」に続く)


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出陣!

夏の夕暮れ時の赤坂。中途半端な時間に客先から開放された私はちょっと迷っていた。

帰社すべきか直帰しちゃうか。特に夜の打ち合わせはないし、急ぎの仕事もない(はず)。少し前ならば会社に戻らなければメールのやりとりもおぼつかなかったが、いまはIP-VPN様のおかげで自宅のほうがパフォーマンスがよいくらいだ。とりあえずモバイルでメールをみよう。手近なオープンカフェにはいってアイスラテを飲みながら店先でノートパソコンを広げる。

黄昏時の赤坂は小路にネオンが灯りどんどん華やかになってくる。道を行きかうのは和装に身を包んだ貫禄のあるお姐さんたち。髪もきっちりと結って、お化粧もばっちり(時にはサングラスかけてたりして)いやいや、武装完了してお仕事に向かう姿はきりりと美しい。なんとなく楽しい気分になるよ。


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夏の電車

平日の昼下がりの電車。いつもなら外回りのサラリーマン、学生、ショッピングのご婦人などがのっているのだが、今週は一般にいわれるお盆休み週間。サンデーカジュアルの壮年の男性もちらほらと。奥様とご一緒にデパートの紙袋などさげて、なんとなくほほえましいと思ったよ。

実家は東京、勤務地も東京のため、私にはついぞ帰省という経験がないのだ。故郷をもたないといっては言いすぎであるが、東京の下町は高度経済成長でダイナミックにその姿を変えた。記憶に残る町並みを探すのはとても難しい。
あえていえばこの時期の人気のない霞ヶ関の官庁街とかにノスタルジーを感じるよ。(父が役人だったのだ)

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詰まる話

尾篭な内容なのでお食事中の方はスルーしてください。

かっぽん かっぽん という音で目が覚めた。日曜のおそい朝は8時。例によって4時ごろ起きた私であるが、日曜ゆえに至福の二度寝をきめこんだのである。

その音はトイレから聞こえてきた。「どーしたのー?」 声をかける。
「あーこっちに来ないでー」夫が答えた。「なんで?なにがあったの?」問うと、トイレのドアから顔をだした夫が「トイレが詰まった」 ひえー。かっぽんという音は夫が トイレ用吸引カップを使っている音だったのである。

どうもトイレをつかった後だったので汚水が周りに溢れてえらいことになっているようだ。

小一時間格闘していた夫であったがやがて居間に戻ってきていった。
「どうもおもわしくない。業者を呼んでくれ」 ふむ。トイレを詰まらせたことは過去2,3回あるが業者を呼ぶに至ったのは初めてだ。「いったい何をやってそんなに詰まったの?」と問うても「いや、わからない。特に紙を多く使ったとか特別なことはしていないのだが」と答えるばかりである。

とりあえずこのままにはしておけないので汚水の溢れたトイレ周りをボロ布でふき取り、消毒代わりのの漂白剤を撒いてきれいにする。なんとか復帰。

早速インターネットで近場の業者を検索し、コールセンターに電話をかけて業者を呼ぶ。そこから小一時間、10時ごろ業者がやってきた。吸引器を使って5分余り。嘘のように詰まりは消えた。作業費5600円。ちょっと痛い。
夏場は節水しがちなので、こういう詰まりはよくあることらしい。「こまめに流すようにしてくださいねー」とのことであった。

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旬の味

腕時計のメンテをしに銀座に出かけた。時計屋は並木通りにある。修理を待つ間に程近い「天一」で昼食。老舗のてんぷら屋さんだが、四季折々気軽に利用している。いつ行っても座れるし(ここ重要)。お座敷でお好みを適当につまむ。

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<いつもはカウンターだが今日はお座敷だった。板前さん貸しきり状態>

私が旬の味覚を味わうのは専ら「天一」だ。小さめに下ごしらえした素材にごく薄い衣をつけてさっと胡麻油で揚げる。さっくりとした衣の感触は一瞬だけで、ほんのわずか火の通った素材の香りと滋味だけが印象に残る。私は生よりもここのてんぷらの方が旬をより深く味わえると思っている。本日美味いと思ったのは「あおりイカ」「子鮎」「雲丹(利尻産。海苔で巻いてあげる)」「鮑」。あと「茗荷」と「生姜」。とくにほんのり火の通った雲丹の甘さ旨さといったら!

ところでここではさつまいものことを丸十という。丸に十は薩摩藩の御紋だから。判じ物ですな。厚く切ったさつまいもをじっくりあげて火を通したてんぷらは甘くてほくほくでとてもおいしい。江戸前穴子のてんぷら(カレー粉でいただくのは天一オリジンです)とともに天一おすすめのメニューなんだけど私は滅多に食べない。両方とも大きいのでこれだけでおなかいっぱいになってしまうからなのだ..(;-;)

お店の人に聞いたら、いつもの年ならもう国産の松茸がはいってきているのだが今年は猛暑のせいでまだとのこと。松茸のてんぷらもなかなかにオツな味です。次回は初秋だな。

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<しあげの天茶。かきあげの海老がおいしい>

修理相成った時計を受け取って、ぶらぶらと歩く、今日は曇りなのでしのぎやすい。

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<ソニープラザではなぜかバーバパパ特集.>

三越地下でお惣菜やパンなどを買って帰る。

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<メロンを半球にくりぬいてブラマンジェをつめたケーキ。うまかった~(食ったのか!)>


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弱り目に祟り目

ハブベアリングを取り替えて間もないのに、ラジエーターが水漏れするようになり、クーラント液を補充しながら走っているFIAT COUPE。この暑いのにさらにエンジン焼付の恐怖におびえる日々だ。

もうイヤだ。こんな車。 ぢっと手を見る。

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<仕事の合間にショールームを眺める日々。いいなあAudi TT Coupe>

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悲しき出張

月曜朝9時の新横浜、新幹線の待合室は常の状態とは異なった様相を呈していた。そう、いまは夏休み。出張のビジネスマンに混じって結構な数の家族連れ。のぞみの指定席に乗れば、まわりでは京都や神戸の観光ガイドを広げながら楽しそうに旅行プランを話す人たち。子供も多いし(幸いにして騒がしく走り回る幼児はいなかったが)

リゾートの中の孤独。こんなときにはとっととフテ寝しちゃうに限る ぐーぐー。

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<帰りの新幹線で名古屋コーチン弁当を食べる。>

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<鳥飯がおいしかった。上部のコーチンシューマイはいまいちー>

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それはわたしの黒心

台風も通り過ぎ、良い天気なのでちとドライブ。

中華街にでも行くかと、第三京浜-首都高経由でみなとみらいを走っているとなぜか浴衣の女性が多い。どうやら今日は横浜港の花火のよう。午後もはやい時間であったが山下公園は既に場所取りっぽい人がいる。これからますます人手が多くなると予想されるため早々に退散し、そのままへろへろと南下。

たどりついたのが横浜ベイサイドマリーナ。横浜港に面した広く美しいマリーナにファクトリーアウトレットが併設された施設だ。このアウトレットモール、なぜかオアフ島のワイケレ・アウトレットモールにとてもよく似たたたずまいでものすごいデジャブが..。最近のアウトレットモールはみなこんな感じなのかのう。場所柄か、アウトドア、スポーツ用品のショップが多い。レストランはもろハワイ風でサムチョイなんかもはいってる。サムチョイは環太平洋地域に展開するハワイ料理のレストランだ。私がオアフでいったのは、わりとパシフィックリム的なメニューだった(おいしかったよ。量が多かったけど)がどうやら日本ではロコモコ(ハワイのローカル料理。基本はハンバーグと卵をごはんにのせたもの)を展開しているようだ。

夫に「ほらこれがロコモコだよ」といってサムチョイのメニューをみせると「なんだ、丼屋じゃないか」といわれました。確かになー。どんどん亭みたいなもの?食べはしなかったけどエビマヨ丼がおいしそうだったのでした。

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<ハワイアーンな雰囲気のアウトレット。シンボルもアロハタワーみたいだ>

お天気も良く風も気持ちの良いマリーナでは、クルーザー上でオーナーの人たちがバーベキューなどをしている。シャンパンなんか抜いて楽しそうだ。そんな風景をみるとわきあがる黒心(注釈参照)。いやマリンレジャーにあまり興味関心はないのですが。

くろごころ : 敬愛する西原理恵子先生造語(?) たとえば自分より幸せな人、お金持ちな人に対して抱くねたみとかそねみが複合して渦巻いて増幅された気持ち。自分の心根の卑しさ浅ましさにうんざりもするが時々生きる活力ともなるのだ。

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