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En phase terminale

シャルル・ド・ゴール空港のターミナル2にあるビジネス・ファーストクラス客専用のラウンジはクラブハウスを模した重厚で豪奢な内装が素晴らしいが、それと滑走路側に向けて開いた大きな窓がなんとも不調和で居心地が悪いと青年は何度めかのため息をついた。

大抵のゲストが窓際の席に陣取る中でただひとり彼だけは奥の書架前のソファに身を沈めていた。長い足を高く組み、雑誌を読みながら眉間に皺を寄せて時折手に持ったタンブラーを啜る仕草は旅客というよりまるで苦行僧のようだと彼にその酒(生のままのタンカレーを半分ほどグラスに満たし、レモンを絞ったあまりぞっとしないオーダーだ)をサーブしたフランス人のグランドアテンダントは思っていた。

細身の長身を仕立ての良いサマースーツに包んだ黒髪の彼  - 世界のセレブリティが利用するそのラウンジの雰囲気に埋没することのない際立った存在感を持つ日本人の青年の容貌もレセプションで受けた名前も、確かに何かで見かけたことがあるのだがと彼女は首を捻った。

やがて東京への出立便のボーディングを告げるアナウンスが流れた。ゲストは三々五々立ち上がりラウンジを後にする。だがその彼は一向に席を立とうとしない。アテンダントはレセプションで彼のボーディング・パスの記録が確かにその便の旅客であることを再確認し、出立を促そうと彼に近づいた。

と、携帯電話が鳴った。なんの工夫も無い電子音だ。彼はスーツの内ポケットから電話を取り出し、発信名を確認すると首を傾げながらそれを開き、話し始めた。落ち着いた低音、流暢なフランス語だ。

「Allo, oui, .... oui! Elle est certainement mon amie...Non! Non! Je ne suis pas son mari! Faire les courses montant dépassé pas le limit,did de la carte de crédit il !!! Je veux parler avec elle..」

その会話を耳にしたグランドアテンダントは頬を緩ませた。なるほど彼の気鬱の原因は、免税店にでかけたまま帰ってこないガールフレンドだったというわけだ。どうやら無駄遣いをしすぎて店を出るにでれなくなったらしい。洋の東西を問わずパートナーの買い物熱に悩まされる男性諸氏の立場は変わらないと彼女は僅かに笑った。

しかし、次の瞬間、彼の口から飛び出したいささか柄の悪い日本語に、彼女をはじめ、興味深々で聞き耳をたてていた周囲は唖然とした。

「おまえこれから日本に帰るってのになにカード限度額超えるまで買い込んでやがるんだ!実家への土産なら別便で送ったろーが!なに?プリごろ太のフランス限定DVD?おまえそれリージョンコードあるから日本で見れないぞ、こっち戻ってきてから買えよ。え、初回生産限定グッズが欲しいだと!?そんなもんのために無駄遣いするなんて俺は承知しないぞ!もうボーディング始まってるんだからとっととあきらめて戻って来い!」

怒気も荒く携帯電話を切った彼は、我に帰って周囲を見渡し、注目されていることを知って赤面した。ふたたび携帯電話が鳴り、今度はひそひそ声で話し始める。

「... あーもう泣くなよ....わかったよ。そこで待ってろ俺が払ってやるから - なに?さすがはオットですネ..だと....夫じゃね~! ったく、おまえがいないと飛行機乗れないんだから手間かけさせるんじゃねえよ!」

日本語に親しくはないアテンダントにはその会話のニュアンスまでは伝わらなかったが、電話を切った青年がひどく恥じいっていることは見て取れた。こういうときのスタッフの対応はひとつ - 見てみぬふりだ。彼女はにこやかに青年に近づき、声をかけた。「Monsieur, C'est temps pour votre boading?」

青年は、顔をやや赤らめて彼女に礼を言い、手に持った雑誌を差し出した。「Merci.. S'il vous plaît rendez ce magazine.」「Oui, bhien sûr」。 そうして渡された雑誌は「Le monde de la musique」で、ようやく彼女はその青年の顔をどこでみかけたのか思い出した。

伝統のあるパリのオーケストラに史上最年少で常任となった日本人指揮者はたいそう有能で、いささか難のあったオーケストラを瞬く間に建て直し、かつその秀麗な容姿で社交界でも大いに話題となっている旨の「Le monde」の記事であった。

足早にラウンジを後にする彼の背中を見送りながら彼女は笑いを噛み殺した。才能豊かで前途洋洋な新進指揮者の彼もプライベートではガールフレンドの所業に悩まされるひとりの若者というのはなんとも微笑ましいと。

かなり後になって、アテンダント仲間に、彼らの機中での振る舞いがある種の親しみを込めた逸話として流れたのであるがそれは別の話 -

Fin

2007.3.12

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